二乗倍のことなど 2

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 上の例では「とされています」「ということです」で締めくくられていますね。他に「といわれています」などというのもあります。すべて、同じタグイのものと理解することが可能です。

 さて、「されています」という捉え方は「しています」を前提にしている筈です。つまり、「している」人(たち)がいなければ、「されている」事実もあり得ません。では、いったい「誰が」「している」のでしょう? 上を読む限りでは、私たちには何も伝わってきません。そして、始末が悪いことには、「誰に」聞けばそれが分かるのかも、明らかにはされていません。
 要するに、どこにも責任の所在が示されていない見解というものが無責任に主張されているのが、「されています」とか「いわれています」とかいう文章なのです。

 例えば、セカンド・ディグリーをほぼ修了しようとしている人達が、六人がかりで、一人の人をヒーリングします。レイキ・マラソンの公式によると、六X六で三十六倍のパワーが働くことになりますね。
 腰の調子が悪いと言って、ヒーリングしてもらった人は、なんだかポカポカと気持ちがよかったといいます。しかし、三十六倍のパワーでも、完治した訳ではないようです。
 レイキ・セミナーを終わったあと、この人は一人でせっせと手を当てて行かなければならないのですが、そのパワーたるや完治させることができなかったパワーの三十六分の一の力しかない訳です。そんなんで、よくなるかなあ−−というのは、眉唾の話をまともに受け取ってみた茶々入れです。

 いったい何を根拠に、「二乗倍」になると言っているのか?  そして、「二乗倍」になったという測定の結果が、いつどこで出ているのか?

 私の想像するところでは、おそらく相対性理論のエネルギーの公式を、私の想像の及ばないような適用の仕方をさせたところに、「二乗倍」の話が成立したと思います。はっきり言って、どうしようもないヨタ話以外の何ものでもないのではないか、というのが私の考えです。

 問題は、次の点にあります。
 世の中には、いろいろな人がいるのですから、荒唐無稽なホラをふく人もいて不思議はありません。ただ、それを聞いた人がどう受けとめるかというのは、もっぱら聞く側の問題と言えます。
 「二乗倍」の話を、その人は聞いて納得したのか? 聞いて自分なりに理解できたのか?
 なぜ「二乗倍」になるのか理解することも出来ないまま、「二乗倍になるんだってさあ」と人に伝えていくとしたら、それは、その人の責任が問われることだと、私は思います。

 ちょっと話が長くなりました。個々の問題は、改めて提出することにして、とりあえず議論はこの辺で切り上げます。
 私の提案は、確かなこととそうでないことを、まず明確にしていく必要があるのではないかというものです。これは、別に「文献」を云々しているのではありません。文書の形になったものだけが、確かなことだなどと言うつもりは全くありません。ただ、その気にさえなれば誰にでも確認することが出来る「文献」というものは、積み上げていく価値のあるものだとは思います。きちんとした裏付けになるものを持っていれば、曖昧な“風聞”に振り回されずに済むでしょうし−−。

 日本の伝統的なレイキに関連する記事が、現在のところ多くなっています。これも、特にこだわった結果ではありません。レイキの現状についても、どんどん提出していきたいと思っています。

 では、これからも、よろしくお願い致します。


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