「隻手萬病を治する療法」


 「隻手萬病を治する療法」  松居松翁
         『サンデー毎日』 昭和3年3月4日

 読者の注文 一月三十日発行の大毎本紙書物紹介ページに載せられた、松居松翁氏の隻手萬病を治する療法を照会せられたし、(朝鮮稲岡瀧治郎)。

 読者の御希望というのなら、喜んでお話し致します。
−−この隻手万病を治する療法なるものは、霊気療法という名の下に、或る特殊の人々によって行われているものである。これを発見したというか、または創見したとでもいうか、ともかく、その療法の開祖−−このグルウプでは肇祖といっている−−は臼井甕男という人で、すでに三年ばかり以前に他界し、今は、その弟子であった人々が治療所を持ち、或いは、その療法の伝授をも行なっている。しかし、隻手よく万病を治するほどな療法でありながら、未だ余り世間に知られていない。何故かといえば、この臼井なる人が特にこれを吹聴することを嫌ったから、その末流を汲む人々もまたなお宣伝することを避けているがためである。
 しかし、わたしは、その宣伝嫌いがどうしても判らない。耶蘇教には今も宣教師があり、仏教にも宣伝使がある。畏くも勅宣、院宣の文字もある様に、「威徳を中外にひろめる」のが宣という字の意味だ。宣伝の原語propagandaも、真理信仰を拡充する場合に用いられたのが初めだ。苟くも、そのことが真理で人類の幸福に寄与するものがあらば、これを宣伝するが、人間としての義務ではないか。だからわたしは、この療法について、他人から尋ねられれば、親切に宣伝をする。雑誌新聞から寄稿を求められれば、わたしは喜んで書く−−だもんだから、わたしに対して相当に反対があるそうだ。或いは、異端者の様に思われているかも知れぬ。しかし、こんな立派な療法が世にありながら、これを一般に知らしめないということは、頗る遺憾千万な話だと思っている。道徳的にも、世間的にも、如何にも惜しいものである。そこでわたしは多くの人々のため、喜び勇んで宣伝をするのであるが、特に、大毎東日ほどな大新聞の読者から、この療法について質問されて、「いや、てまえの療法は宣伝が嫌いですから、何事も申し上げられません」と断わったら、記者諸君なり、読者諸君なりは、それこそ霊気療法を山師の仕事と思うかもしれない。「あらゆる病気を癒すなどと広言を吐いても、さあという時には、責任を負った発表が出来ぬじゃないか」といわれても仕方がない。だからわたしは、霊気療法そのもののためにも宣伝する−−真理を公表する。この意味で喋るのだから、わたしの態度は、本療法関係者の意志に基づくものではない。全然わたし一個の思考から独自の立場にあって、あえてこれを発表するものである。病魔に悩む多くの人々のため、わたしは、どう考えて見ても、この口を緘してはいられない、わたし自身について見ても、この療法を知って以来のわたしの気持は、とても凝乎として芝居なんか書いていられない様な−−実際を告白すれば、まあ、そんな風な気持になっている。わたしが一生懸命にこの療法を宣伝して、自分の理想を実現する時が来れば、日本は実に極楽になるのだ。いや、延いては世界中が無病息災のパラダイスになるのだ、ああ、一人にでも多く宣伝したい。

 所で、この霊気療法は、発見されて以来すでに十数年になるが、治療所は極めて少数である。私が伝授を受けたのは林忠次郎という海軍大佐で、極めてまじめな、人情深い、如何にもこの仕事に生まれついた様な人である。午前中は一般の治療に応じ、月の五日間は療法の伝授を行なっている。しかし、世間には霊の字のついた療法が非常に多い、それで、矢張りまたあの霊気療法かと、十把一からげにされて軽蔑されている。それでも宣伝したくないというのだから、この偉大なる道が行われないのも是非がない。
 この療法は、少なくともわたしが研究した数種の療法の中で、最もユニックな、最も効力の顕著なもので、全く万病を医することが出来る。一知半解の徒は、その名によって直に「神経的な病気に利くか」などときっというが、そんな神経的なものに限られてはいない。内臓の諸症、負傷、やけど、リウマチス、神経衰弱、内科でも、外科でも−−お望み次第だ。
 霊気療法は、その名の示す如く、少なくともスピリチュアルなものとして、考えられているが、わたしが今までに百人以上を治療した経験からいえば、むしろ、わたしはフィジカルなものじゃないかと思っている。或る人は、これを以てキリストや釈迦が人の病を救った奇蹟と等しいものの様に考えているが、少なくともわたしは、彼等の如き偉大な人間でもなければ、またそんなものを行ない得る人格の所有者でもない。
 一体世の中には、あらゆる世間のあらわれを霊的に解釈して、人間の霊の方面のみを見つめながら世を送っている人があるが、同時にまた反対に、世界の事件の表現を散文的に、フィジカルに、プラクチカルに考えて、すべてそういう方法で解決をつけてゆく人もいる。わたしはその後者に属する、卑俗凡庸な人間であるから、人間のフィジカルな治療をするのに、急に、スピリチュアルな野心を起こす必要はない。少なくとも今の所では、わたし自身のやっている療法だけは、決して超自然的なものではない。極めてノーマルなもの、極めて生理的なものだと解釈している。

 理論はぬきにして、先ず実例から話してみよう−−。
 最近の方では、今月初めに、浦和のある高等学校の教授が、四歳になる娘を或る人の紹介でつれて来た。その娘は片眼がつぶれ、同時にまた他の片眼にも移ろうとしているので、方々の博士の所を渡りあるいた、だが一向になおらぬ。それでわたしの所に来た。わたしは、単に眼ばかりでなく、全身のどこかに欠陥があるのじゃないかと考えたから、第一に全身を診た、胃腸が悪い、鼻が悪い、腎臓が悪い、種々な点を綜合して考えると、全身的な疾患が最も強く眼に現われたものらしい。そこでわたしは、わたしの療法を試みた所、五六回ばかりで眼が見える様になって来た。勿論のこと他の疾患も漸次快復して来た。その父親は「この娘のためには、自分の眼球をくり抜いても惜しまぬ」といっていた。今その父君は自ら今月より入門して、自分でその娘の病を癒そうとしている。
 次は、昨年十二月初旬のことであった−−知名の画家O氏が三時間の時に死んで終うと宣告された。すでに二時間は経過して、あと一時間の生命であるというので、夜中にその娘さんから電話がかかった。そこでわれ等夫婦は、郊外駒沢に一時間余を費して自動車を飛ばした。馳せつけた時にはもう三時間半の後であったが、門前にわれ等を待ち受けている家人の話によれば、一時間も前に人事不省に陥ったというのだ。われ等夫婦は直ちに心臓へ手をかけた、そうして心臓弁膜症のために心臓麻痺に陥っていたO氏は、われ等夫婦が、六時間半、一滴の茶も飲まずにその胸に手を置いた結果、とうとう、医者はO氏が安全区域にたち戻ったことを宣告し、その次の夜には、平熱に下がって脈搏も八十位を打つ様になって来た、−−わたしは公言する、大抵の場合、百二十位を打っている脈搏の人を、二三時間で八十位までにすることはさまで困難なことでないことを。
 また、「穏田の神さま」といわれる飯野吉三郎君が重体の時は、有力な博士が四人もかかっていた。彼は四度も死の宣告を受けたが、その最後の朝、その家族達が袂別の水を彼の唇にしめした後、わたし達はその蘇生を受け合った。そうして彼は死線を越えた、宿直のお医者さん達は退散した。
 こんな、奇跡的な実例は腐るほどにある。しかし、実は、それは奇跡でも何でもない、簡単に生理的な治療が施されたに過ぎない。

 では、如何にしてわたしは病気を治療するかというに、ただ患者の患部に手を載せて置くだけだ。押しもしない。叩きもしない、そこにこの療法の妙味があるものとわたしは思っている。ただこの療法の強味は全身的に診察してその病源を悉く探知し、その部分に治療を加えるから、治療の効果が顕著で迅速なのだと思う。そんなら、如何にして病源を発見するかというに、患者の全身どこにでもわたしの手をかければ、その悪い所においてのみ、わたしの掌が痛むからである。掌の痛む程度は勿論病気次第で違う、といってそれは病気の軽重によって強弱が比例するものかどうか、未だわたしには秩序的に解っていない。しかしながら患者自身が悪いという場所に限り掌が痛むというのではなくその病源において掌に痛みを感ずるのであるから従ってまた容易に発見せられる訳である。多くの場合お医者さんは、病人の訴えによってのみその患部が判る。ところが、わたし達には病人からの告白はいらない、のみならず病人はこんなことで癒るものかと思っていてもよい。否でも応でも、三十分乃至一二時間の後にはきっとその病所に、革命が現れるのだから仕方がない。
 例えば、ここに心臓のひどく悪い男がある。これを医学的に見ても八十五六位しか脈搏が打っていないとする、それでも彼は、その胸が苦しくなるのを感ずる、医者も心臓の狭窄症だという−−この場合、わたしが彼の心臓に手をかけても、わたしの掌は痛みを感じない。そこで胃腸と腎臓との部分に手をかけて見る、わたしの掌は非常に痛む、すなわちわたしはその部分を癒すことに努力する。すると間もなく心臓の圧迫も取れてしまう。新派俳優の泰斗、河合武雄の場合が丁度それであったのである。

 そこで疑問が起きる。
 −−なぜそうなるのか、なぜ掌が痛むのか、それが問題だ。なぜ医者の手放したものが癒るのか、それが不思議といえば不思議だ。ただ手を置きさえすればそれで癒るものは癒るのだから、そこが霊的に解釈されるゆえんかも知れぬ。しかし、わたしの考える所では、わたしの手には、林氏の伝授を受けた刹那から、自分の全体を通じて異常な血液の活躍が促されて来たらしい。しかして、末梢神経の指端において、これが最も急激に、微妙に、素晴らしい活躍をするのかも知れぬ。さらば、林氏の伝授が、わたしにこの力を与えてくれたのであるか−−それはチョッと公表しがたい。
 兎に角、そういう血液の活動している指端が、患者の病所に置かれた時、わたしの血液の波動が患者の血液の波動を促す、つまり、ブラッド・カレントが一つになる、波長が一つになるゆえであるかも知れぬ。それで患者の充血、鬱血、或いは貧血したために起こった病患が、段々にノーマルな状態になって、病気は自然に癒って来るという理屈であると信ずる。この意味において、輸血療法、淋疾のカテーテル療法、その他種々な医術的療法も相一致するものがあると思う。
 もし、仮に治者被治者のブラッド・カレントが合致するという解釈が、この事実を説明し得たとしても、何人といえども、皮膚を隔てて果して左様なことが出来るかどうか、この疑問を抱くに相違ない。しかし、梅毒のために鼻柱の落ちた人も、今日の進歩した医学によって造鼻術が行われる、膝の肉や皮やを取ってきてそれを欠けた鼻の上に植えつければよいのだ。ところがその膝の肉は少なくとも一時間は死んだものだ。それが自分の、或いは他人の鼻の上で癒着して、血液も通うし、神経も働くことになる。これから考えれば、皮膚の隔たり位は何でもあるまいではないか。

 この話をすると、世間の半可通は直に「動物電気だろう」などという。しかし、「電気とは何ぞや」の定義すら、今日の科学では未だ決定されていない。あの大エヂソン、大マルコニーのプラクチスは驚くべきものがあるが、電気の本質的説明は出来ていない−−だから、この問題はそう簡単には断定が出来ない。が、わたしのぼんやりした感じからいうなら、或いはエーテルの作用ではないかと思うけれど、エーテルの研究はなお出来ていない今日だ、無学なわたしなどが、こんなことをいったら他人様はお笑いになるだろう。ただわたしがこの療法を人にアプライする時に、大体においてエーテルの法則に従って説明するのが一番近い様に思うのだ。といってわたしは、微分積分も知らぬ人間だから、はっきりしたことはとても言い得ない。いずれ、これから高等数学でも習って研究的に実験してゆくうちに、或いは説明の出来る時機が到来するかも知れぬが、兎に角今のところでは、応用の方面で偉大な効果のあることだけで、まあ、満足しているより外はない。

 わたしも、初めはこの療法を鼻先で笑って見たものである。
 或る日、わたしは友人に向って「どうも身体が快くないからゴルフでもやろうと思うがどうか」といったものだ、友人は「それならゴルフよりこんな良いものがある」といって、この療法の存在を教えてくれた。その友人の父はかつては日本銀行の総裁であった人、その友もまた英国に留学して来て今は立派な実業家だ。こんな人から勧められたものだから、わたしもその気になって、妻と子供と三人で直に入門した、だが、真実をいえばまだその時ですら信じてはいなかったものだ。ところが間もなく、西條八十、宮島新三郎両君等と講演旅行に出かけ、その旅先で、鯉こくを食ってその骨を喉に立てて、ぎくしゃく泣いてる男を見た。わたしは何の気なしに療法を試みたところ、不思議にも痛みが取れた。この時、わたしは初めて療法の「こつ」を悟った。これ以来わたしは、もう鼻先で笑えなくなったのである。
 わたしは、或る人の紹介で林氏の元に入門した。この療法を伝授されるについては、相当な金を払って伝授されたもので、それには初伝とか奥伝とかあるのだが、わたしは未だ奥伝にはいれぬ程なぺえぺえに過ぎぬ。だから、委しい事はよく知らない、その門下には種々な階級もある様だ。こんな善事を宣伝することすら嫌うほどの謙譲な人々の集まりで、階級を設けたり、入門金を取ったりするのも変な様ではあるが、しかしそれは、この人々の特権であるから、何人もその既得権は認めねばならぬ。またそれが徳義でもある。この意味でわたしは、その伝授と療法とについて、もっと詳しく発表するの自由をもたないことを遺憾とする。それはその人々の生活にまで危害を加えることであるから。

 但し、これだけはいって差し支えあるまい。一日一時間半位の程度に、五日間の稽古であるが、人によっては、最初に伝授を受けたその日から、もう他の人を癒すことが出来る、それほど問題は簡単至極なものだといえる。人間の誰にでも、第六感となって潜んでいる或る意識が、この稽古によってその発動を促され、その間に習得されるものであるらしい。ともかく、極く簡単な方法で教えられるもので、一言にしていえば、人類全体に共通な力で、小児でさえなければ誰にでも出来ることだ。方法としても、単にその患部へ隻手を置けばよいのだから、実際これ位な治療法は世の中にあるまい。これを特に恵まれた人々にのみ限らず一般に公開したら−−という熱情が、日夜わたしの心の底に湧いて来る。だが、或る特殊な事情によってそれが許されない。せめてこんな療法が存在することだけでも、一人にでも多く知らしめたいというのが、わたしの今日の溢るるが如き熱情だ。

 最後に、最近におけるわたしの愉快な報告を、もう一つ二つつけ加えさせて頂きたい。
 わたしは今月にはいってから、福島県の或る富豪の未亡人の瀕死の床を見舞った。これはわたしが青年時代に丁稚奉公をしていた家の主婦であるが、昨年の夏その地方へ往った時、二回手をかけたところが、頭痛が非常に楽になったので、是非かさねてわたしの治療を受けたいというのであった。わたしは、報恩の意味で忙しい東京から六日間のがれて、一日七八時間ずつ治療をしたが、死の影はもうその病室から去って終ったらしい。その時その一家でわたしは、矢張り昨夏手をかけた患者に遭った。それは四十年来掌の皮が非常に荒れる病症だ。労働者の踝といえどもこんなにあつく、硬く、ひび荒れはしないと思うほどになっている。それも夏も末で、しかも手の甲は極めてすべっこい。これはこの辺の風土病と見えて、その頃わたしが逗留していた飯阪の旅館の姪にも同じ疾患があった。これは八度福島病院でレントゲンをかけて貰ったが何の効もなかったというのだ。わたしは自分の力では、とてもこんな難病は癒るまいと思いながら、ただほんの経験のために手をかけて見ると、双方とも、十分位でやわらかな、綺麗な手にかわった。そして今度行って見ると従来は一層烈しく荒れ爛れる運命を見ていた冬の最中に、依然として綺麗になっていた。わたしもびっくりした、人々も驚いていた。
 (記者註、この二つの事実は福島の新聞が写真入で特報している)

 手の話が出たから、もう一つ自慢話を−−。
 それは去年の暮れのこと、或る知名な建築家が、永年の職業上、製図に必要な二本の指が硬直して、遂に満足に数字が書けなくなった。二行位も書くと鉛筆はこの建築家の指から抜けて落ちた。或る博士に三ヶ月もかよった。病魔は思う様に退散しない。そこで私の所に来た、この時も私には自信はなかったが「まあ、やって見よう」というので、十分ばかりも建築家にとっては偉大であるべき二本の指を私は掴んだ。一つの暗い人生を隻手に握ったのである。所がどうだろう、その指は間もなく動き出した、生活があるき出したのだ、そして三回もやったら完全に昔の指になったではないか。
 しかしこんな自慢話はいくらしたって、信じない人には信じられない。また話だけでは信じない方が道理だ。あなた自身病気があるなら目前で直しましょう。しかし軽い病気は癒してもつまらない。お医者さんでも癒せる。お医者さんで癒せない病人があったらつれていらっしゃい。つれて来られない重病人なら、こっちから出かけてもよろしい。といっても御承知のごとくわたしは忙しい身体だ。来月は二つの劇場の脚本三つをこれから一週間で書くのだ。そう沢山はいけない。ただわたしの隻手療法の実力を試験するために適当と思う重患の人を一人だけやって見ましょう。
 (二月某日文責在記者)


目次に戻ります