隻手療法実験のため自ら患者となるの記  あさき生


          『サンデー毎日』 昭和3年3月4日

 隻手療法なんて、そんな莫迦な――少なくともモダアンのモの字でも知る人間なら、隻手で万病を治するてえな夢を、誰が見るものか、多分、松翁先生が劇作のかたてまに、何事か皮肉な遊戯でも考案したんだろ、何を莫迦なとばかり、雪の日、長崎町のお宅に出かけたもんだ。
 先ず一通り話を聞く、――驚いたことには、先生は頗る真面目である、むしろ謹厳な態度で療法談が続けられる。もとより彼は、野次馬気分で先生の門を叩いたのではないけれども、さりとて彼は、奇蹟に近い事実が行われていようとも予想しなかった。所が、話は正しく奇蹟の上を歩いている。彼の饒舌な心は忽ち沈黙した。実は、奇蹟を信ずるよりも、彼は松居その人を信じたのである。また、もち屋がもちを食わぬと同様に、芝居道の大家が、医者の真似をするに何の不思議もあり得ない。
 で、富樫じゃないが問答無益、いざ、彼自身の万病を目の前で癒して見よう、見事なおして見るか、見るぞよ、なんでもないことてな訳で、別室に支度がされる、支度といって横臥の場所をつくるだけで、聴診器も薬も無用なのである。所で彼の病気は? 山ほどある、大病でもなく、寝つくほどでもない、ぴんしゃんした病気ではあるが、曰く軽度でびっこの乱視、曰く胃腸の持病、曰く鼻、曰く神経衰弱、曰く……等。
 そのうち最も病気らしい胃腸と眼、この二つを治療してもらうことにして、やがて別室に舞台は移された。彼は裸体に近くなった。仰向けに寝た。羽根ぶとんが上からやさしくかけられた。先ず血圧を計り心臓を診た上で先生は左半身に、奥さん(かつ子夫人)は右半身に、河村さん(看護婦)は両眼に、三人がかりで、腹部と顔面とに手は置かれた。
 読者の注文は、如何にして満足されるか、彼は、恰も爼上の鯉の如く、息を殺して身動きもせず、診察?の結果を待った。最早少しの疑いをも抱く訳にゆかない。何だか原始的な治療を受けている様な気だ。反対に、隻手療法とは如何にするものか、まるで、甲賀流の道場に忍術でも盗みに来たかの様に、頻りに好奇心が活躍を始めた。
 と、間もなく――
「どうだ、このお腹のひどいことは!」
と先生が。
「何だか、腎臓でも悪い様ですよ」と奥さんが。
「こちらもよく出ますよ」と河村さんが。
 彼の病状について最初の報告である。「出ますよ」とは、患部が血液を要求するとの意味で、掌に反応を感ずることだ。つまり掌が痛むことを指す。ふん、べらぼうめ、ひとの腹の上に手をおいて、こちらは痛くも痒くもないのに、やれ掌が痛むの出ますの候のと、ひとをこけにするも程があらあ、さては松翁先生夫妻は発狂でもしたか――といやあ話はお終いだ、松竹の人、歌舞伎の役者、みんな発狂したことになる。では、どんな風に痛むのか、――ぢりりと来る、びりっと痛む、刺すように痛む、時には、焼けたフライパンの底でこすられる様な痛みを感ずることがあるとの話だ。おかしな現象だ、しかも、患者は療法を疑っていても治療に支障はないとある。霊気療法とはいえ事実上霊的なものでないのだから。
 そこで彼は先生に話しかける、先生は奥さんにいう、河村さんがあいづちを打つ。或いは、癒った人々から来た礼状が見せられる、帝展の審査員であった洋画家S氏、日本唯一人の大実業家の息で、また、相当な実業家である所のS氏、そんな人々の筆跡を彼は寝ながら読んだ。こんな先生の私交にまでおよびたくはないが、その意志に叛いても彼は読者に満足を与えたいが腹一杯なのである。この間およそ約二時間、会話をしながら手は頻りに動かされて患部が探られている。が、松翁先生夫妻の身体は坐ったまま動かない。芝居王国の責任者として忙しい人に、こんな仕事をただの物好きで出来るものじゃない。終に彼は大病人になった様な気がして来た。
 これで第一日の治療は終った。むしろ切り上げられた。胃腸と腎臓が非常に悪い。意外にも肝臓まで悪い。それが癒れば眼も自然に視力を回復するとのことだ。驚いたことには、十七八年も前に手術した鼻の話はしないのに、河村さんが「ここによく出ますよ」といって、それを摘発したではないか。好奇心が不思議な物に飛びついたまま動けなくなった心持である。
 彼は、降り積む雪の中を戻りながら、下手な碁打ちみたいに、あの手はどうか、この手はどうだったかと、手のことばかり考えさせられた。仕掛けもやある、呼吸もやあると首を捻って見たところで、この場合無から有は出ない。反対に有から無にでもなるか、頭が軽くなって、目先が明るくなり、何となく爽快な気持がして来た。彼は眼鏡を外して歩いてみた。

 翌日は休んで容態を観察した。眼はやや疲労を覚え、腹は徒にふくれ上がる様な感じで、それ以外別に異常はない。自重しておかゆを喰ったら珍らしや軽い下痢をしたばかり。

 第二日は約三時間、型の如く治療を終った。内臓が混乱したらしい感覚が強烈に襲うて来た。或る軽快さで腹中が鳴りわたる。下腹部が膨れて来たが重苦しさを伴わない。やや全身的に疲労が感ぜられる。

 第三日となった。
「これだけ手がけて、なおかつ凱歌をあげられぬとは心外だ」といいながら、松翁夫妻は彼の難症に突撃せんばかりの意気である。手先は方々に転戦する。間もなく先生は叫んだ。「ほっ、やった、ここだそ、加勢しろ加勢しろ!」先生の手の上に奥さんの手が来た、その上にまた河村さんの手が重ねられた。病魔の巣を発見して総攻撃をするのだ。「痛い!うう痛い!」と先生は顔をしかめた、「待ってくれ、もう敵わん、右手と取り換えるから」
 重ねられた手の下で、彼の腸はぐず、ぐずと鳴った、霜柱が溶け崩れる様に――。恐らく鬱血でも散る音なのか、気味が悪い、この時彼は、この療法の開祖が飯野吉三郎や太霊道と共に、日本三やま師の一人といわれたことを思い出した。

 その日、彼は小山にでも登った様な疲労を覚えた。家で横になると心臓が早くどきどき打っている。胃も弱ったらしい兆候がある。入浴の後また横になると前後不覚に仮寝の夢、何だか鼾をかいてる夢だ。一時間ばかりして好い心持で目を覚まし、聞けばとても大きな鼾をかいたそうだ。醒めての気持は今までにない愉快さである。

 第四日には、腹がくうくう鳴り出した。治療を始めて以来いつも腹一杯食っている気で、しかも喰えばいくらでも食える状態にあったが、この日は腹中もやや整って来た様な感じで空腹感が漸く湧いて来る。が、眼はまだ眼鏡なしには疲労する様だ。
 以上の如き経過で、胃腸に何らかの革命が起きたことは事実だ。俗に「動じ」という奴か、反動的に一時悪くなったか、ともかく、反応のあったことはわかる。しかし、果して癒るかどうか更に続けて見ねば確答は与えられまい、ただ報告を急ぐため不満足ながら、実験記はこの程度にしておくが、なお治療はして頂く約束である。
 最後まで探ってみたが、隻手には何の秘密も何もないらしい。それとなく奥さんをねらっても「このお腹ん中に種が仕入れてあるんですよ」とばかり、笑って答えない、松翁先生も笑っていた。
 信ずるか、信じないか、――それは個々人の見識にあることで、報告は単に報告に過ぎないことを特に附記しておく。


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