手のひら療治の趣旨


 江口俊博

 科学文明の進展は医学の方面にも絶えず新理論と新研究方法とを提供し治療の方面にも続々新案が採用される有様ですが、医業国営論だの医薬分業論だのが喧しく唱えられ、また一方には皇漢医学の新研究が勃興したり、色々の民間治療が頻りに流行したりするのは、畢竟するに医療の方面に重大な問題がまだまだ沢山存在している証拠だと思います。
 単に医療費の点だけについて見ましても、中産以下の家庭ではその負担に仲々の困難を感じ、ために現代医学の恩恵に浴する機会を殆んど持たない家庭さえ夥しく存在している現状です。国民保健家庭医療の現在の組織には改良補足を要する事の少くないのは此のー事によっても明らかですが、しかし国民生活の此の欠陥を除くことは決して容易な事ではありません。
 ところが幸いな事に私共は、近年図らずも或る簡易確実な病気治療の方法を見つけ出しました。それは手のひらを身体の故障のある部分にあてるだけで種々な病気が治るのです。人間の手のひらには、犬や猫が傷口を嘗めて傷を治し得るように、病気の快癒を促進させる機能があるようです。手のひらで病気を治す事は昔から随分行われておったようでありますが、大抵は偉い人格者、聖者と云ったような人にのみ出来る霊能として、或はまた特殊の行者に限り修得の出来る神秘の力だとして極めて狭い範囲の人達だけがやった事で、広くー般家庭の実用にはなし得ないでいました。それで今日の科学の時代になりましては迷信類似のものと誤認され、或は混同されて、有識者達からは兎角に迷信扱いを受け殆んど問題にもされない有様でありました。
 しかるに私共が自ら実地修得してやって見ましたところ、あに図らんや、これは人間自然に具有している機能でありまして、或るちょっとした方法を施せば、誰の手のひらからも或る一種の力が発動し、放射するのでありました。そうして一旦発動すれば再び元に還ることがなく、其の手を身体の故障のある部分にあてると、人体自然の治癒良能がメキメキ促進されて、病気がひとりでに治るのだということが分りました。しかも此の方法は薬を飲ませるでもなく、医療的の処置をするでもなく、ただ静かに手をあてているだけでありますから、人体の組織機能などに就いて何等の理解もない赤の素人がやりましてもいささかの危険もありません。ですから医家の診断治療と相まち相協力してやりますと、看護法としても驚くべき効果を現わします。
 そればかりでなく最も都合のよい事は、極めて簡単に、確実に、何人の手からもその力を発動させることが出来る事です。一日三・四十分間位ずつ三日続けて修行さえすれば大抵役に立つだけの力が発動します。そうして一人が一度にニ、三十人位ずつ発動させることが出来ますから、私共はどうか此の力を広く各家庭に普及させて、現代医学及び医療の力の及ばない所を補い、同時にー般家庭の医療費を軽減して上げたいと考えます。
 なお此の療法が普及しますと、治療以外に貴重な思想的効果が伴うことと思います。それは此の療法は手を直接に患者の身体に触れ、且つ割合に長い時間がかかりますから、患者と療治する人との間に医療では到底期し得ざる親しみを生じ、また治つた時の感謝の情も自然深くなるようです。故に親子夫婦兄弟という如き近親者の間に此の療法が行われますと、知らず識らすに情愛が深まり、家庭が自然円満になります。今の社会はややもすると人と人と抗争するを以て人生社会進展の法則なりとするようの傾きがあり、世の中が何となく潤いを失いゆく状態でありますから、病苦に悩む人の為にその貴い時間をなげうって快癒を助けようというようなやさしい感情を涵養する此の療法の普及は、刻下の緊急問題たる思想善導の実行手段として絶好のものではないかと思います。
 過労過敏と偏奇矯激とは現代文明の通弊でありますが、それは多くは身体の悪いのと平行しているのでありますから、もし各家庭において親近者たがいに温い心で癒し合うとしましたら日本精神本来の純朴性をとり戻す一助ともなり、国民生治の上に貢献するところ決して少なくないと思います。
 手のひらで療治する事は決して私共独特のものではなく目下幾十種あるか分らぬ位行われておりますけれども、外の療法は或いは入会の条件が困難なため、或いは修行が容易でない等のために弘まる性質を欠いていますから、まず私共がさきがけして独特の簡易さと確実さとを以て、各家庭に広く此の療法を送り込もうと決心したのであります。


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