「隻手萬病を治する療法 4」


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 わたしは、或る人の紹介で林氏の元に入門した。この療法を伝授されるについては、相当な金を払って伝授されたもので、それには初伝とか奥伝とかあるのだが、わたしは未だ奥伝にはいれぬ程なぺえぺえに過ぎぬ。だから、委しい事はよく知らない、その門下には種々な階級もある様だ。こんな善事を宣伝することすら嫌うほどの謙譲な人々の集まりで、階級を設けたり、入門金を取ったりするのも変な様ではあるが、しかしそれは、この人々の特権であるから、何人もその既得権は認めねばならぬ。またそれが徳義でもある。この意味でわたしは、その伝授と療法とについて、もっと詳しく発表するの自由をもたないことを遺憾とする。それはその人々の生活にまで危害を加えることであるから。

 但し、これだけはいって差し支えあるまい。一日一時間半位の程度に、五日間の稽古であるが、人によっては、最初に伝授を受けたその日から、もう他の人を癒すことが出来る、それほど問題は簡単至極なものだといえる。人間の誰にでも、第六感となって潜んでいる或る意識が、この稽古によってその発動を促され、その間に習得されるものであるらしい。ともかく、極く簡単な方法で教えられるもので、一言にしていえば、人類全体に共通な力で、小児でさえなければ誰にでも出来ることだ。方法としても、単にその患部へ隻手を置けばよいのだから、実際これ位な治療法は世の中にあるまい。これを特に恵まれた人々にのみ限らず一般に公開したら−−という熱情が、日夜わたしの心の底に湧いて来る。だが、或る特殊な事情によってそれが許されない。せめてこんな療法が存在することだけでも、一人にでも多く知らしめたいというのが、わたしの今日の溢るるが如き熱情だ。

 最後に、最近におけるわたしの愉快な報告を、もう一つ二つつけ加えさせて頂きたい。
 わたしは今月にはいってから、福島県の或る富豪の未亡人の瀕死の床を見舞った。これはわたしが青年時代に丁稚奉公をしていた家の主婦であるが、昨年の夏その地方へ往った時、二回手をかけたところが、頭痛が非常に楽になったので、是非かさねてわたしの治療を受けたいというのであった。わたしは、報恩の意味で忙しい東京から六日間のがれて、一日七八時間ずつ治療をしたが、死の影はもうその病室から去って終ったらしい。その時その一家でわたしは、矢張り昨夏手をかけた患者に遭った。それは四十年来掌の皮が非常に荒れる病症だ。労働者の踝といえどもこんなにあつく、硬く、ひび荒れはしないと思うほどになっている。それも夏も末で、しかも手の甲は極めてすべっこい。これはこの辺の風土病と見えて、その頃わたしが逗留していた飯阪の旅館の姪にも同じ疾患があった。これは八度福島病院でレントゲンをかけて貰ったが何の効もなかったというのだ。わたしは自分の力では、とてもこんな難病は癒るまいと思いながら、ただほんの経験のために手をかけて見ると、双方とも、十分位でやわらかな、綺麗な手にかわった。そして今度行って見ると従来は一層烈しく荒れ爛れる運命を見ていた冬の最中に、依然として綺麗になっていた。わたしもびっくりした、人々も驚いていた。
 (記者註、この二つの事実は福島の新聞が写真入で特報している)

 手の話が出たから、もう一つ自慢話を−−。
 それは去年の暮れのこと、或る知名な建築家が、永年の職業上、製図に必要な二本の指が硬直して、遂に満足に数字が書けなくなった。二行位も書くと鉛筆はこの建築家の指から抜けて落ちた。或る博士に三ヶ月もかよった。病魔は思う様に退散しない。そこで私の所に来た、この時も私には自信はなかったが「まあ、やって見よう」というので、十分ばかりも建築家にとっては偉大であるべき二本の指を私は掴んだ。一つの暗い人生を隻手に握ったのである。所がどうだろう、その指は間もなく動き出した、生活があるき出したのだ、そして三回もやったら完全に昔の指になったではないか。
 しかしこんな自慢話はいくらしたって、信じない人には信じられない。また話だけでは信じない方が道理だ。あなた自身病気があるなら目前で直しましょう。しかし軽い病気は癒してもつまらない。お医者さんでも癒せる。お医者さんで癒せない病人があったらつれていらっしゃい。つれて来られない重病人なら、こっちから出かけてもよろしい。といっても御承知のごとくわたしは忙しい身体だ。来月は二つの劇場の脚本三つをこれから一週間で書くのだ。そう沢山はいけない。ただわたしの隻手療法の実力を試験するために適当と思う重患の人を一人だけやって見ましょう。
(二月某日文責在記者)


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